大阪高等裁判所 昭和28年(う)695号 判決 1953年7月16日
控訴人 検察官・副検事 田淵耐介
被告人 中村直幸
検察官 飯田昭
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金参千円に処する。
右罰金を完納することができないときは罰金弍百円を壱日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
本件控訴の理由は末尾添付の副検事田淵耐介名義の控訴趣意書記載の通りであり、弁護人の答弁の要旨は被告人の所為が公職選挙法第百四十六条の違反になるとしても同法条の規定は憲法第二十一条に違反し無効であるというにあり、以上に対する当裁判所の判断は次の通りである。
本件公訴事実及び原判決がこれを無罪にした理由は論旨に示している通りであつて、要するに原判決は被告人が頒布禁止を免れる行為としてなしたものであるとの点につき結局その証明がないとして無罪を言渡したものである。而して被告人が頒布した「炬火」の記載内容は論旨に摘録している通りであつて、これ正しく特定候補者の氏名を表示した文書であることは明らかであると共に、被告人は原審第一回公判期日に於て「加賀田進、柳田秀一の氏名を本件炬火に登載するようになつたのは、我々の代表者で組織する上部団体である総評等から、組合側から今度これこれの人を推薦候補として推すとの通知があつたので、その上部の意向を我が組合員に報道伝達するためのものであり、この報道伝達するということは勿論この候補者を当選させるためにやつたものです」と供述し、又被告人は司法警察員に対する供述調書に於ては「九月八日の組合の役員会に於て寺内従組も加賀田、柳田両氏を推薦支持することを確認浸透さすことになつたので、本件炬火を印刷した配つたもので、尚一九五二、九、一〇の発行日九、八の委員会開催日等を墨で消したのは炬火は機関紙であつて、これがもし外部に出て一般人に告示以後に於ける配布が明確に判れば具合が悪いのではないかと思い消したものであり、これを配布した目的は総評が加賀田、柳田の両氏を推薦しているし、寺内従組としても右両氏を委員会で推薦決定したその意思を浸透させる目的と右両氏を当選させて上げたいという気持で配布した」旨を、尚検事に対する供述調書に於ては「寺内製作所従業員組合は組合員約三百八十人で、その内有権者は三百二十人位で、殆んどが京都市内に在住しているから京都府第一区若しくは第二区の選挙人である。九月八日寺内製作所従業員組合役員会でも総評の決定を確認し、柳田、加賀田両候補を推薦することに決つたので、私としても亦他の役員も両候補の当選を期待しているのであつて、従業員の有権者にもこの役員会の決定に従つて柳田、加賀田両候補へ投票をして貰いたいという気持から本件炬火を印刷して配布した。私から炬火を受取つた人の中には有権者でない人もあつたかも知れませんが、私としてはその人から更に従業員有権者にこのことが徹底されると思つていた」旨を各供述して居り、この供述に被告人自身が文案を作成した前記炬火の文言の内容を対照斟酌すれば、被告人は本件衆議院議員総選挙に際し京都府第一、二区よりの立候補者加賀田進、柳田秀一の当選を得しめる目的を以て、法定の頒布文書でないことを認識しながら本件炬火を印刷頒布したものであることが認められる。
原判決は右炬火は寺内従組の機関紙であつて、同従組役員会の両候補推薦決定を全組合員に知らすべきいわゆる一つの報道的文書であると認定している。勿論かかる報道的意味をも包含してはいるが、更に該炬火は「寺内従組委員会(委員会の三字は小字)で一区加賀田進、二区柳田秀一両氏を推薦支持と決定」と一目で見易い大字による表題の次に、選挙に関する筆者の意見を述べ両候補者に対する支援と協力とを要望したものであつて、特に文中論旨摘録の如き部分のあるに至りては、右文書の体裁と文詞上よりしてもこれを単なる委員会決定の報道的文書のみであるということは、文章の健全なる常識的解釈上許し得ないところで、右両候補者に当選を得しめる目的を有する所謂選挙運動のために使用する文書であると認定せざるを得ない。而して又この炬火が寺内従組の機関紙でその印刷配布方法等がすべてこれまで通りのやり方であつたとの一事を以てするも右認定を覆すことはできない。
然らば被告人の本件所為は公職選挙法第百四十六条第一項の規定に違反し同法第二百四十三条第五号に該当する犯罪であるのに原判決はこの点につき証拠の判断を誤り犯罪の証明なきものと誤認した違法があり、これが判決に影響を及ぼすこと洵に明らかである。
弁護人は公職選挙法第百四十六条の規定は憲法第二十一条の規定に違反して無効であると主張するけれども、憲法第二十一条は絶対無制限の言論出版の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することはこれを容認すべきものと考うべきところ、公職選挙法第百四十六条は公職選挙につき文書図書の無制限の領布、掲示を認むるときは、反つて逆に選挙の公明を害し延いては候補者の選挙の平等の原則に背馳する結果を招来する虞があること等からして、文書図書の領布掲示につき一定の規制をなすことが、選挙の自由と公正を期する所以であるとして、選挙運動期間中なる短期間に限りこれを制限する目的のもとに制定せられた規定であるところ、かかる制限は公共の福祉のための合理的制限と解せられるから、その結果として多少言論出版の自由の制限をもたらすことがあるとしても、この規定を憲法第二十一条に違反するものということはできないから、弁護人の主張は理由がない。
以上の理由により本件控訴を理由ありとし、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所が直ちに判決する。
第一罪となるべき事実
被告人は京都市伏見区芳永町所在株式会社寺内製作所の従業員を以て組織する労働組合の書記長をしているものであるが、昭和二十七年十月一日施行の衆議院議員選挙に際し、京都府第一区より立候補せる加賀田進、同第二区より立候補せる柳田秀一の当選を得しむる目的を以て、その選挙運動期間中なる同年九月十日頃同会社事務所及び工場内に於て、公職選挙法第百四十二条所定の禁止を免れる行為として、同組合の機関紙「炬火」に「寺内従組委員会で一区加賀田進、二区柳田秀一両氏を推薦支持と決定」と題し、いよいよ総選挙戦の火蓋は切られ総評等に於ても推薦候補として京都第一区に加賀田、二区に柳田両氏を決定して果敢な闘いを進めている。各位の絶大なる支援と協力を願う旨等を印刷し、以て右総選挙に京都府第一区より立候補せる加賀田進、同第二区より立候補せる柳田秀一の両候補者の氏名を表示する文書約五十枚を、同組合員西村輝雄外十五名に配布し、よつて右両候補者の選挙運動のためにする文書を頒布したものである。
第二証拠の標目
一 原審第一回公判調書中の被告人の供述記載
一 被告人の司法警察員に対する供述調書(検甲第二六号)
一 被告人の検事に対する供述調書(検甲第二七号)
一 西村輝雄の司法巡査に対する第一、二回供述調書(検甲第三、五号)
一 坂本駒三郎、前川志朗、萩原初治郎、杉山岩吉、西ハツヱ、上村伝次郎、田中芳松、山信子、篠田大三、小栗栖幸、大橋甚蔵、中村進一、岡本喜一郎、田中光代、森川治男の司法警察員、司法巡査に対する各供述調書(検甲、第一、七、九、十一、十三乃至二十、二十二、二十四、二十五号)
一 押収(検察官提出)に係る炬火(証第一乃至七号)
第三法令の適用
被告人の判示所為は公職選挙法第二百四十三条第五号に該当するから所定刑中罰金刑を選択し、その金額範囲内に於て被告人を罰金三千円に処し、該罰金を完納することができないときは刑法第十八条により罰金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべきものとする。
仍て主文の通りの判決をしたのである。
(裁判長判事 岡利裕 判事 国政真男 判事 石丸弘衛)
検察官の控訴趣意
原審判決は、「被告人は昭和二十七年十月一日施行の衆議院議員選挙に際し選挙運動期間中である同年九月十日頃京都市伏見区芳永町株式会社寺内製作所事務室及工場内に於て法定の禁止を免れる行為として京都府第一区より立候補せる加賀田進竝同二区より立候補せる柳田秀一を推薦する趣旨の記事を記載した寺内製作所従業員組合機関紙「炬火」約五十枚を西村輝雄外十五名に配布し以て右両候補者の当選を目的とする文書を頒布したものである」との公訴事実に対し本件記事は両候補者に投票を得るにつき有利な文書ではあるが要は寺内労組において加賀田、柳田両名を推薦候補に支持決定したといふ謂はば一つの報道的文書でそれ以上には何等強調しておらず又被告人において両候補者の選挙運動のためにする認識の下に配布したと認むべき証拠が十分でないとして無罪の判決をした。然し右は明らかに事実の認定を誤つて居り、しかもその誤認は判決に重大な影響を及ぼすことが明白であつて破毀を免れないものである。
(一) 本件文書は公職選挙法第一四六条にいわゆる候補者の氏名を表示し推薦する文書である。
原判決は本件文書は只単に加賀田、柳田両名を推薦候補に支持決定したという謂はば一つの報道的文書でその他に何等強調しておらない旨判示しているが本件文書には「98委員会報告、寺内従組委員会で一区加賀田進、二区柳田秀一両氏を推薦支持と決定」なる表題の下に「総評及びSKRにおいては推薦候補として京都一区に加賀田、二区に柳田を決定して果敢な斗いを進めており寺内従組としても右両名を推薦確認を委員会で決定した」「此の選挙こそ吉田をはじめ全ての反動勢力を打倒する唯一のチヤンスであり吉田内閣が単独講和、安保両条約の発効以来企図していた日本の植民地的アメリカへの服従とアメリカ国防政策につながる再軍備促進への野望を粉砕しなければならない」「吾々は此の総選挙にこそ全力を挙げて悔なき成果に斗ひを進め真に吾々の代表として吾々の立場に立つ人を一人でも多く国会へ送り出さねばならない、各位の絶大な支援と協力を願ひます」との文言の記載があり只単に寺内従組委員会において総評及びSKR推薦にかかる加賀田進、柳田秀一の両名の推薦を確認した事実の報道のみならず今回の選挙は吉田内閣を打倒する唯一の機会であること、之がためには再軍備反対の立場に立ち寺内従組の所属する総評及びSKR推薦にかかる右加賀田進、柳田秀一の両名を我々の代表として国会に送る必要があることを強調し同人等を候補者として推薦し投票方を依頼する趣旨のものであることは文書の文言自体明らかである。原審の「本記事は寺内労組において加賀田、柳田両名を推薦候補に支持決定したといふ謂はば報道的文書でそれ以上には何等強調しておらず」との認定は前記の文言を看過した結果であつて全く事実誤認といふ外はない。
(二) 又被告人がいわゆる違法の認識を有し本件文書を候補者加賀田進、柳田秀一に当選を得させる目的で領布したことは被告人の司法警察員に対する本件「炬火」の発行日、委員会開催日を墨で消したのは「炬火」は機関紙であつて組合内部の者だけが見る為にのみ発行したのであるが、外部に出て一般人に告示以後の配布が明確になると具合が悪いからである。又これを配布した目的は総評が加賀田、柳田の両氏を推薦しておるし寺内従組としても右両氏を委員会で推薦決定したその意思を侵透させる目的と右両氏を当選させて上げたいといふ気持からである」旨の供述(被告人の司法警察員に対する供述調書参照)検事に対する「柳田、加賀田を推薦と決定した以上、私としても他の役員も両候補の当選を期待しているのであつて従業員の有権者にも此の役員会の決定に従つて両候補へ投票して貰いたいといふ気持から九月十日此のこと(推薦決定のこと)を炬火に印刷して領布したのである」旨の供述(被告人の検察官に対する供述調書参照)により明白である。
原審判決は被告人の「本件文書の領布は両候補者の当選を目的としたものである」旨の供述を被告人と右候補者が同一政党に属するが故に被告人が右候補者の当選を単に期待したという意味に過ぎぬと解しているがそれは原審が被告人の第三回公判に於ける「炬火を利用して両候補を当選させようとは思はなかつた。それを手段としてではなく私自身が両候補の当選を願つているだけである」との弁解を鵜呑みにしたものと思料されその失当であることは前段説示の諸点から多言を要しないところである。
かくの如く本件文書は被告人が前掲両候補者の当選を目的とし公職選挙法第一四二条、第一四三条の禁止を免れるため領布したものであるから(本件文書が同法第一四八条にいわゆる新聞紙又は雑誌でないことは被告人の供述により明らかである)本件文書の領布が仮令組合活動の一部としてなされたものであつても違法性を阻却すると解すべき謂はなく、又弁護人提出に係る内藤朝次郎に対する無罪判決の論旨は改正選挙法施行前である昭和二十五年一月四日頃の案件であつて本件と同日に談じ得ないことは勿論である。
以上述べたところから明らかな如く、本件は犯罪の証明十分であつて被告人に対し有罪の判決をなすべきに拘らず敢えて無罪の判決をしたのは察するに原審が徒らに組合活動を過大に評価した結果ではないかと思料され、右判決は破毀せらるべきものと信ずる。
よつて刑事訴訟法第三八二条に則り本件控訴の申立をした次第である。